やりがいがあることをやり抜くのは大変なことを悟った2019年
さて、今年は少しばかり将棋のお話をさせていただければと思います。毎年してるじゃん、と思われるかもしれませんが、今年はいつもご報告している「またまた昇級未達成」とはどういうことなのかについて説明しますので、お付き合いいただければ幸いです。
さらに、日本における憲法改正の議論が活発化する中、憲法とそれを解釈する裁判所から何を期待すべきか、という点についても米国から学べる。
憲法の役割に関して弁護士や憲法学者に聞けば、多くは国家権力を抑制し少数の権利を守ること、と答えるであろう。そして、その保護を実際に執行していくのは最終的には裁判所であるとも。
しかし、裁判所が「正しい」判断をするといった保証はない。時には暗い米国の憲法史がそれを示している。連邦最高裁は歴史上数々の悪名高き判決を下しており、その一つは南北戦争という内紛勃発のきっかけになり、もう一つは労働者保護の法律を無効にしている。
僕が米国憲法について語るとき、必ず最初に指摘するのが米国憲法の古さである。1788年に発効した米国憲法は、成文化された憲法としては世界で最も古い。
歴史の浅いアメリカなのにそんなはずはない、と考える人は多い。しかし、1788年の世界を振り返っていただきたい。その頃の日本は江戸幕府第11代将軍徳川家斉の時代。欧州は君主制。テレビどころか電気もない時代はだいぶ昔である。
たった70年の憲法史しかない日本が、230年もの歴史を誇る米国から学べることは少なくない。
昨年はいくらあっても足らない「時間」についてばかり考えていたせいか、2018年はその限られた時間を最大限に活かして「形になる成果」をあげることが目標となりました。
私は昔から教師という職業に憧れており、ロースクール時代に主に米国憲法を勉強したことから、きっかけがあれば憲法を教えたい、と従来から考えていました。しかし、私の今までのキャリアは憲法とは全く無縁のもの。ロースクールで、それも日本にいて、米国憲法の教鞭を取るなどそう容易くいかないと思っていました。