タグ: ブログ

このブログのファンへ、新たに立ち上げたサイトもよろしく(前編)

このブログを始めて15年経つが、一向に人気が高まらない。

僕の夢は、このブログが出版社の目に留まって本になり、それがベストセラーになってテレビドラマと映画になり、そのおかげで印税ガボガボのチョー有名人になることなのだが、その夢が叶う兆しはまったくなく、僕が毎日励んでる色紙のサインの練習は無駄になるばかりである。

ウィキペディアのボストンカレッジの記事には、僕の執筆癖がちらほら(後編)

他方で、このボストンカレッジの記事には僕の「執筆癖」がちらほら見られる。

例えば、このブログを「ながい、くどい、うざい」と貶す読者がいる。各投稿の読み始めはそこそこ面白いものの、早々とお腹いっぱいになる、という評価だ。

そんな人にとって、ボストンカレッジに関するウィキペディアの記事は苦痛以外の何ものでもないだろう。何せ、こう見えても僕はブログ投稿を簡潔にまとめることを心がけているが、ウィキペディアの記事を書くにあたっては限りなく長文にすることを唯一の目標に掲げていたのだ。

ウィキペディアのボストンカレッジの記事には、僕の執筆癖がちらほら(前編)

超人気ブロガーになる遥か昔、僕の執筆活動はウィキペディアで始まった。

具体的には、学生時代、僕は我が母校であるボストンカレッジの記事を執筆することに明け暮れていた。

ことの発端はひょっとした発見。

その頃の僕は、英語の家庭教師をしていた教え子に自分が通っている学校を知ってもらいたく、日本語のウィキペディア記事を紹介したいと考えていた。しかし、学校名で検索しても記事が見つからず、それどころか、憎きライバル校であるボストン大学の記事が出てきた。さらに、その記事を読んでみると、なんと、ところどころボストンカレッジと混同している記載があるではないか。

「時間」について考えさせられた2017年

今年も残すところわずかばかりとなりましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。

2017年は色々な面で「時間」について考えさせられた年でした。

6月と9月には、大学時代のルームメイトが立て続けに結婚しました。ルームメイト4人が揃ったのはほぼ大学時代以来のことでしたが、その頃と変わりなく彼らと接しながらつくづく感じたのは、真の友情とは時間を超越するのだな、ということです。

もっとも、「時間」の経過には抵抗できないことを今年改めて実感したのも事実です。数年前、ませた親族の子に「何とか時間が過ぎるのを遅くできないかな」と尋ねたら、「時間が過ぎるのが早いのは毎日が楽しみだからだよ」とちょっと生意気な返事が戻ってきたことがありました。彼に「今年は特に目紛るしかった」と愚痴をこぼしても、きっと、「毎日楽しくしすぎだよ」と冷ややかに返されるだけでしょう。

ブログの一新と日本語版の立ち上げ

数少ない読者の皆様に喜ばしいお知らせがあります。

この度、ブログを一新しました。

以下にて説明するとおり、これはサイトを全体的に変更するだけでなく、日本人読者の体験を大幅に改善することを目的とした、大きな更新です。

ある平凡な日曜日

2014年6月29日(日) の朝、最初に考えた事は、「今日は何をしよう」だった。

ここで 「朝」について解釈。「朝」とは、僕にとってその日が始まる時を指しているが、週末・祭日の僕の一日は大抵午後12時半頃に始まるので、一般に受け入れられている定義(すなわち「=午前中」)とは大分意味が異なる。

ここで「始まる」について補足。土曜日・祭日・ダラダラしている日曜日の場合、目が覚めてからベッドから出るまで1〜2時間かかるので、「その日が始まる時」とは、あくまでも目が覚める時間を指す。

僕の芸は口

「多芸は無芸」とはよく言ったものだ。僕に相応しそうなことわざだが、若干違う。

まあ、どんなことわざも多少修正すればどんな人物でも状況でもピッタリ表現できる。例えば「花より団子」。これは芸術がさっぱり分からない他、いつ世界が破滅するか分からないと言う理由で、どの食事も最後の食事との前提で大食いする僕にぴったりそうだが、実はちょっと不完成。毎日の二度の食事も大切だが、何よりカジノが生き甲斐であるため、僕は「花より団子、より博打」と、ジョー流のことわざを使っている。

「多芸は無芸」もちょっと合わない。「多芸」とは多くの「芸」に通じている事を指すが、僕は「多芸」であると褒められたことなどない。反対にどうでもいいことばかり話している、している、考えている、と毎日のように皮肉られている。僕にとってジェームス・ボンドに関する知識、小説の読書、映画の観賞、漫画の乱読、家系図の作成、飲食、博打、パズル、将棋、ブログの投稿等々はとても重要なのだが、他人にとってはどれもためになる「芸」ではなく、「趣味」ですらない、ただの「無駄」らしい。
Translate »