競合がいなく需要もない僕の二つの専門(後編)
僕は憲法が大好きだったくせに、ロースクール卒業、ニューヨークの法律事務所に入所し、企業が市場で資金調達することを法的に支援するキャピタルマーケッツという部署に所属して、憲法とは無縁の生活をしていた。そして、僕はそこでハイイールド社債(high yield bonds)というものについて学んだ。
ある会食で隣に座ってた人の話を聞いていたら、驚くことに、彼はアマチュアボディビルの日本一なのだそうだ。
これはすごいと思って深掘りしてみると、ボディビルはレスリングのようにウエイトクラス(および年齢クラス)というものがあり、一定のクラスではそもそも参加する人が皆無なので、参加するだけで一位になれるらしい。
なるほど、競合がいなければ日本一になれるんだ、と感激していたら、実は自分にも同じ消去法で(日本一とは言わずとも)国内有数になれる分野が二つだけあることに気づいた。
しかし、そこで気付いた。そういう神経だからこそ、つまらない人間になるのだ。学歴だけが根拠のプライドで自分は賢いのだと信じて疑わず、自分が知らないことや想像できないことについて否定的になり他人の話を聞かない。だから、永遠と自分の小さな世界から出られない。
僕は八方美人だ。でも、そんな僕でさえ、ある種の人間からは好かれずとも構わないと思っているし、僕もその種の人間に対しては嫌悪しか感じない。
その種の人間とは、つまらない人間である。そして、そういうつまらない人間にこそ、学歴が高いエリート職に就いている人物が多い。
昨年はいくらあっても足らない「時間」についてばかり考えていたせいか、2018年はその限られた時間を最大限に活かして「形になる成果」をあげることが目標となりました。
私は昔から教師という職業に憧れており、ロースクール時代に主に米国憲法を勉強したことから、きっかけがあれば憲法を教えたい、と従来から考えていました。しかし、私の今までのキャリアは憲法とは全く無縁のもの。ロースクールで、それも日本にいて、米国憲法の教鞭を取るなどそう容易くいかないと思っていました。