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ボウリングのタイムリミットが来て次に向かったのは、同じ施設にあるダーツである。
ダーツは日本に戻って来てから始めた。大抵どこのバーにもあるので飲みにいくと自然にやるようになったのだが、ダーツは単にスコアを競うだけでなくゲーム性もあるので、3〜4人でやると特に盛り上がる。
いつしかダーツにハマるようになった僕は、自分のプレイを記録してレーティングもしてもらえるダーツカードやマイダーツを持つようになった。別にマイダーツを持つほどうまいわけではないが、2時間も遊ぶのであれば、マイダーツを持参したくなるものなのである。
僕は娯楽のために生まれてきたような人間である。実際、仕事をする必要がなければ、僕は終日娯楽に興じているであろう。
まさに今年のゴールデンウィーク前日はそんな1日だった。
有給を取ったその日はまず、ボウリングからスタート。
平日の真っ昼間だったので、15:00までの投げ放題で1500円という超お得な価格だった。よって、一緒に行った2人と狂ったように8ゲーム投げた。
このように、僕は映画に対して常にエンターテイメント性を求めている。さらに、僕には「どんなジャンルにもいい映画がある」といった持論がある。思考が一切不要なアクション映画でも、馬鹿げたコメディでも、甘い恋愛物語でも、僕はいつも面白さを期待して決して映画の誘いを断ったりはしない。
しかし、だからと言って、観た映画のすべてが好きになるわけではない。というか、僕は映画の評価には厳しい方だ。「どんなジャンルにもいい映画がある」という考えの裏には、「どんなジャンルにもいい映画と悪い映画がある」という意味が含まれている。
では何が映画の良し悪しを分けるのかというと、実はそれは、僕のルームメイトが拘った芸術性なのだ。
僕は最近、小劇場というマニアックなジャンルの演劇にはまっている。その世界にどっぷり浸かっている知人の影響である。
先日その知人と一緒に芸劇サファリ・Pによる「第8回公演『透き間』」と呼ばれる演劇を鑑賞しにいった。1時間半に渡って俳優が走り、泣き、踊るのを観た後の僕の感想は、「?」でしかない。何しろ、最初から最後まで、一体何が起こっているのかさっぱり理解できなかったのだ。
こういうことを体験する度に、僕は「芸術」のあるべき姿について考えてしまう。
僕は今まで600~700本の映画を観たことがあるが、これだけ観てようやく気付いたことがある。
それは、ほとんどの映画は平凡、ということだ。
これは必ずしも悪いことではない。