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将棋から考える人生のいろいろ(後編)

危ないのは刺激なき環境だけではない。僕は将棋で何度も油断大敵を痛感しており、それはこれからの人生において決して忘れてはならない教訓だと思っている。

将棋では時々、優位に進めていると思っていたのが、いつの間にか手の施しようがないほど劣勢になってしまっていることがある。振り返ればどの局面でどの手が悪かったのか分かるが、対局中は、危機感がないまま指していてふと気付いた頃には事は遅し、といった感じである。

将棋から考える人生のいろいろ(前編)

どうも僕は、人生を将棋にたとえるのが好きなようだ。将棋にハマればハマるほど、将棋が人生の縮図に思えてくる。

僕の人生論は「人生いろいろ、将棋もいろいろ」だ。

この3年間、僕はある仲間と100局以上の将棋を指してきたが、その彼との将棋が同じになったことが一度もない。最初の5−6手は毎回似たり寄ったりだが、いつもどこかで新たな分岐があり、経験したことのない将棋に展開していく。

人の人生も同じではないか。同時に生まれ、同様の環境で育った双子でも、徐々に異なる人生を歩んで行く。生まれながら似ている双子でさえ違う運命を辿るのだから、世界にいる70億人の人生の多様性は計り知れない。まさに、将棋も人生もいろいろである。

我が哲学、「人生いろいろ」

僕の人生の哲学は「人生いろいろ」の一言で簡潔に纏まる。

人生を語れる年齢か、と年配の人には叱られそうだが、そう長く生きてきた訳ではないものの、今までそれなりにそこそこの経験をしてきた。

日本で生まれ、米国で育ち、地元の公立校にもキリスト教系の私立校にも通った。大学では理数系と文系の分野をかじったし、社会人としては公務員としてスタートを切った。少なくとも一般的とは言えない経歴であろうと自負している。

様々な環境にいたことによって、生まれや育ち、学歴や職業、性格や特技が大きく異なる人々に出会ってきた。その他、人の趣味や個性も考慮すると、僕は多種多様な人に囲まれていて、それが最近「人の生き方ってこうも違うものなのか」ということを認識することにつながった。そして、そんな認識を持つようになり、毎日がたまらなく楽しくなってきた。
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