僕が大切にしてる、二つの不思議な友情(後編)
(前編から続く)
このように僕とジェームズの友情は十分不思議だが、サムとの友情はもっと不思議である。何しろ、僕が彼と一緒にいた時間はたった2週間なのだ。
僕はサムと大学時代に知り合った。彼は2歳年下で、違う大学に通っていた。通常なら何の接点もない我々が知り合うことになったのは、とある学生プログラムを通じて中国に行った際、ルームメイトになったからである。
サムは米国南部育ちで、南部の大学に通ってる、純粋な南部の人だった。そんな彼は、僕に南部についていろいろ教えてくれた。10歳の子が銃を手にするような世界について。
サムと僕が一緒に生活してたのはたったの2週間、されど2週間。相性が合えば親睦を深めるのには十分な期間だった。
そして数年後、日本に戻ることを決めた僕は、記念となる米国での最後の旅先にサムの地元テネシー州を選んだ。直接的な理由は、近くにある国立公園でハイキングができることをサムから聞いていたからだったが、決め手となったのは、これがサムと再会できる最後の機会かもしれないと思ったからである。
こうして僕は、サムに出会わなければ絶対に行かなかったであろうテネシー州西部に行って、サムに案内されながら南部をたっぷり体験した。その時の一番の思い出が、サムのおじいちゃんの裏庭で、お互い自慢の「マイ拳銃」で2人一緒に射撃したことである。
テネシーの旅行以降、僕はサムと一度も会っていない。今の僕たちの関係は、毎年僕から自己満足の年次報告書を送って、彼(の奥さん)から家族写真入りのクリスマスカードをもらうだけである。そういった細く長い関係でも疎遠になった気がしないのは、もともと僕たちの友情が頻繁に会うことで築かれたものではないからだろう。
最近、そんな仲のサムから唐突に手紙を受け取った。何年振りかの連絡がメールではなったことが、僕たちには相応しいように感じられた。
サムの手紙は、長らく連絡をとってなかったことを謝り、彼と家族の近況を伝え、リモートで話すことを提案する、彼らしい温かい内容だった。その後、当然僕たちは都合の良い日を見つけて話すことになり、我々は90分間、昔2週間だけ一緒に生活していた時のような感じで会話をした。
そしてZoomを終了するとき、数年待たずにまた話そうと約束した。
だが、なんとなく、我々が次回話すのは何年も先になる気がする。
僕たちの友情は、そういうものだから。
