鈴木直道~平凡な公務員からスタートを切った偉大な政治家(後編)

前編から続く)

結局、鈴木知事は派遣職員として夕張市に2年2ヶ月いることになる。2011年の3月、帰京の際に黄色いハンカチを振る市役所職員と住民に「いってらっしゃい」と見送られ、泣きながら「体は戻ってくるか分からないですけど思いはずっとここにある」と語る鈴木知事の当時の姿は、たった数カ月後に市長になるために戻ってくることを考えると、感慨深い。

彼に市長選出馬の要請をしたのは、派遣されていた時に一緒にボランディア活動をしたコンビニの店長や土産物店の仲間たち。その時彼は、結婚を控えて家を購入したばかりの29歳。断る理由はいくらでもあったものの、自分の「やりたい」という気持ちに押されて、安定した都職員という地位を捨て、誰にも相談せずに、骨を埋める覚悟で出馬を決断した。

帰京の際には大勢に囲まれた鈴木知事だが、出馬した当初は新聞記者に相手にされないほど厳しい戦いを強いられていたようだ。確かに、2年間しか住んだことがない者は、所詮は外様。苦戦の中、約4ヶ月の間毎日欠かさずに市内を周り、6000世帯のうち5700世帯の人に夕張に対する想いを伝えたことが実り、自民党推薦の元衆院議員を破って初当選する。全国最年少30歳の市長誕生である。

当選した後、鈴木知事は夕張市が直面する問題に着々と対応していく。

例えば、市のコンパクト化。夕張市は東京23区より広いのに、人口は1万人未満。炭鉱町として栄えていた頃の10分の1未満で、市が買い取った3,800の炭鉱住宅のうち4割が空き家として使われていない。維持管理費だけで年間1億5千万円かかるので、住民に市の中心部に移ってもらうことは、市の効率化のために欠かせない。それを、鈴木知事は市民の同意を取り付けて実行している。

他にも、自腹でカタールに出張して夕張メロンをアピールしたり、鉄道の廃線を自ら提案し廃止に対する条件を引き出したり。さらには、それまでは北海道経由でしか国に訴えることができなかったのが、市長になってからは、国、北海道、夕張市の三者協議が実施されるようになった。借金も半分近い140億円を返済。これら実績が評価され、2015年には無投票で再選している。

先の統一選挙で彼が知事選に挑むと聞いた時、僕は強いリーダーシップが必要な夕張市から偉大な市長が去ってしまうのは何とも惜しいと思ったものの、彼のような人材がもっと大きな舞台で活躍しないのはもっともったいないと考えを改めた。

鈴木直道という政治家について、僕はもっと世間に知ってもらいたい。彼は政治家という職業に希望を与えるだけでなく、どんな人でもビジョンと行動力さえあれば世の中を変えられるという証だから。

 

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