まずいざるそば、どうでもいいドイツ料理

最近は少し落ち着いたのだが、2ヶ月前は1週間90時間、日曜日14時間出勤など、(アメリカでは)滅茶苦茶な出勤パターンで、大分参っていた。 

それでも「花より団子」である僕は、ある程度ましな食事さえ食べられれば、結構オフィス生活も我慢できる。 

ところが、ニューヨークの出前はまずい。



日本の出前って言うと、うなぎ、寿司、日本そば、ラーメン、弁当など、おいしい印象がある。スーパーのおにぎりだって十分おいしい。毎日出前しか食べてない日本の社会人方々には、「そんなおいしい物ではない」なんて言われそうだが、実際二年前、東京勤務の直後ニューヨーク勤務をした時、最初に痛感したのが食事のまずさだった。 

まあ、出前にもよるだろうが、日本の出前は「飽きる」のであって、「まずい」のではないような気がする。 

典型的なまずい出前がニューヨークの日本食の出前。 

例えば、有名な雑誌で高く評価されてる日本食屋からちらし寿司を頼む。すし飯の上に切った生魚を「散らせ」ばいいのだから失敗しようがないではないか、と皆様思うであろう。 

ふん。 

納豆巻でもましに作れないほどまずい店が多いのだから、ちらし寿司もなんとすし飯の上にふりかけがかかるという非常識な形で出てくる。 

あのねー。すし飯だけが残った場合でも普通ふりかけなんかかけて食べないだろう。なのになんで刺身がある時に、ふりかけなんかと一緒にすし飯を食わねばならんのか。日本食が分かってない、というか味が分かってないと言った方が相応しいか。 

でもこれ、まだまし。ふりかけをよけて食べればいいんだから。 

たまげたのは、ある日曜日にそばの出前を取った時。ただでさえ日曜日の朝から出勤なんてしたくないのに、週末の楽しみである日本そばが台無しにされたのは、本当にアタマにきた。 

20年前では考えられないほど最近のニューヨークでは日本食が普及しており、100メートルごとに日本食屋があるといっても大げさではない。当然の事ながらそこまで普及していると日本人以外が経営している店がほとんどで、「はずれ」のほうが多くなってくる。 

よって、ざるそばを頼むと言っても簡単ではなく、結局インターネットで検索して値段の高さ、メニューの豊富さなどを参考に店を選ぶしかない。忘れられないほどまずかった日本そばは、1000円の茶そば。ニューヨークで1000円の昼食は結構高く、茶そばなど出す日本食屋は余りないので、これは絶対大丈夫だろうと思って頼んだのだ。 

まだまだ甘い。 

届けられた袋を覗くと、プラスチックのコンテイナーに入っている茶そばが見えたが、麺つゆが見えない。余りおいしそうではないな、と思いながら茶そばを机にのせると、袋が空になってしまった。阿呆ども麺つゆを忘れたな、電話で怒鳴りつけてやろうと思い受話器を手に持ったとき、コンテイナーのふたに茶色い水滴が見えた。まさか、とは思いつつふたを開けてお箸で麺をつまむと、底にそばつゆがあった。 

何の事はない、冷やしそばラーメンの世界である。明かに「麺をつゆにつけて食べる」という感覚がない中国人が経営している日本食屋だったのだ。 

アタマにきたから、米国のまずい中華料理定番のケチャップの入ったチャーハンを送りつけてやろうかと思ったが、ゆですぎた茶そばを二口食べて捨てるだけに我慢した。 

全く、ざるそばの常識ぐらい学んでほしいものだ。 

ところで、いくら料理教室へ通ってもおいしく作れない食事がドイツ料理。三度目の飯を食うぐらいなら戦争してる方が楽しい国民などましな食事をしないだろう、という持論が、先週、大学のルームメイトがニューヨークに訪ねにきたとき、嫌々にも立証された。 

この友達は舌が肥えており、ボストンで僕が好きな店は大体彼に紹介してもらった所。でも彼がおいしいドイツ料理を知っていると誘ったとき、僕は直ちに断った。ビールとソーセージなんて夕食ではない、と。 

でも二日目、彼の彼女も同行した時には反対を押し通せず、生涯初めて本格的なドイツ料理を食べる羽目になってしまった。 

大体思った通りの物がでてきた。 

幸運にも、魚の丸焼きという「それドイツ料理っぽくないね」と友達に言われるような料理があり、僕はそれを頼み十分楽しんだ。他の人達はソーセージになんとかいうマヨネーズパスタサラダ。おいしいはおいしいのだが、一口食べたらもうどうでもいい味だった。というか、わざわざ夕食に、お世辞にも「料理」と呼べないこんな食事を食べたくなかった。 

所詮、ドイツ「料理」なんてこんな程度なのだと思う。なにせザガットと言う有名な料理評価雑誌がこの店を高く評価しているのだから。 

もう二度と食べたくない物、それはドイツ料理と中国人のざるそば。

 
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