歌舞伎以外が物足りない「国宝」(前編)
(5.5/10)
喜久雄(吉沢亮)は任侠の一門に生まれながらも、天性的な歌舞伎の才能を持つ。15歳の時に天涯孤独になると、歌舞伎名門家の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られるが、半二郎には跡取り息子である俊介(横浜流星)がいた。生まれながらの天才と生まれながら将来を約束されていた2人は、時には兄弟、時には親友、時にはライバルになりながら波乱万丈の人生を歩んでいく。
「国宝」は「歌舞伎をテーマとしたヒューマンドラマ」である。歌舞伎の映像化でも歌舞伎のドキュメンタリーでもない。
この違いは重要だ。「国宝」の歌舞伎のシーンは見事で、相当な時間と労力と制作費をかけて撮られていることは一目瞭然。だが、「国宝」が単なる歌舞伎の映画ではない以上、総括は「歌舞伎が綺麗だ」に留まってはならず、歌舞伎以外のシーンが大きく物足りないのが、この映画の欠陥である。
些細な点から挙げると、時代が変わる度に「19xx年」のテロップが流れるのが気になる。映像と音声で物語を語るのが映画というものなのに、時間の流れを風景や衣装、演技や台詞でなく文字で示すのは、芸術性に欠ける。長期間を描く傑作「フォレスト・ガンプ 一期一会」や「6才のボクが、大人になるまで。」では、「xx年」や「xx年後」といったテロップは流れない。
だが、より大きな課題として、「国宝」は感情描写と物語の進め方が極めて雑だ。
特に女性の登場人物に関しては、半二郎の妻・幸子(寺島しのぶ)以外、ほとんどのキャラクターが掘り下げられてない。喜久雄の幼馴染で俊介の妻となる春江(高畑充希)は、俊介の妻になる前がそれなりに描かれているだけまだいい方だ。喜久雄が出世のために結婚した梨園のお嬢様・彰子(森七菜)は唐突に消えてしまうし、喜久雄の妾・藤駒(見上愛)は2人の子供を産んだのにほとんど現れない。
(後編に続く)

私の「国宝」に対する感想は、大きく3点あります。1つは主演のお2方が、よくあそこまで歌舞伎を会得されたということ。1年半程の特訓だそうですが、驚嘆ものです。本職の歌舞伎俳優を起用しなかった意図が、きっと監督にはあるのでしょう。もう1つは、これは良し悪しの意味ではなく、かなりマニアックな内容なので、これほどの大ヒット作になるとは考えられませんでした。知る人ぞ知る、好きな人が楽しむ内容だと思っていたのです。3点目は、年月が飛び過ぎて状況が変わり過ぎて、わかり難い所があったこと。全体に端折った印象なので、3時間の映画に纏めるのではなく、もつと間も丁寧に,、連ドラや大河並みの時間を使って描いたほうが良かったのでは、と感じた次第です。
1、2は私も同感です!
3については、後編でも触れているのですが、端折った印象になってしまったのは、原作の多くを語ろうとしすぎたからだと思ってます。映画は本と全く異なる媒体なので、「纏める」ことはできないというのが私の持論です