意外かもしれないが、僕は食生活も、読む活字も、仕事の仕方も、極めてジャパニーズ(前編)
僕は日本生まれの日本育ちなのに、アメリカ生活が長いせいか、いろいろ誤解されている。
たとえば、食生活。僕の食欲は部活帰りの高校生並みだが、好きなのは和食だ。外食すると和食の店しか選ばず、もっぱら魚と野菜ばかり食べている。
ところが、ジョー=アメリカンのイメージが強いせいか、多くの人は僕が毎日肉をがっつり食べていると勘違いしている。接待でステーキ屋なんかに連れていかれるのはありがた迷惑で、そんな時の僕は、ステーキを食べながら翌日の献立を刺身と納豆のどちらにしようかと悩んでたりする。
さらに、「ジョーさんは日本語が読めるんですか」と初対面の人に驚かれることがあるが、これほど心外なことはない。僕が人生の中で読んできた本の数は、英語より日本語の方が圧倒的に多い。
アメリカで過ごした年数が長いのになぜ、と思うかもしれないが、僕の教育は日本の小学校で始まっている。当然のことながら、当時は日本語しか読めなかった。その後、アメリカに行っても当初は英語が分からないので、最初の数年間は日本語しか読んでいない。
いずれ英語も読めるようになったが、その頃には、「読書」というものはおおかた授業の課題としてやらされるものになっていた。高校時代に読んだジョン・スタインベックの「怒りの葡萄」なんぞは日本で言えば村上春樹の本のようなものであり、そんなものを読まさせれたら、読書が嫌いになるのも当たり前だ。大学時代は、リベラルアーツの学校に進学してしまったため、4年間通してずっと哲学やら社会学やらわけわからない本を読ませられる羽目になり、もはや読書というものは苦痛以外の何ものでもなかった。
このようなことから、僕の頭の中では「英語の本=苦痛、日本語の本=娯楽」という方式ができあがってしまい、社会人になり、強制的な読書から解放され、自分が読みたい本を読めるようになると、年間50冊のノルマのために選ぶのは日本語の小説ばかりになった。結果として、実は僕は、学問として必要な最低限の本しか英語で読んでない。シャーロック・ホームズでさえ、原語で読んだことがないのだ。
(後編に続く)
外国で生まれ育った日本人は、自分の祖国のルーツを意識し、凄く日本的な生き方、考え方になる場合も多いようですね。日本の長所と短所、外からだからこそ気づくのかもしれません。
なるほど!確かに僕はアメリカに長くいたからこそ、日本にいたと確信できるような気がします!