漢字も将棋も人生も、痛い目に合わないと学ばない

先日、海外送金するために銀行に行ったら、えらい恥をかいた。

日本の法律上、海外送金をする際にはマネーロンダリング対策のため送金の理由を銀行に説明する必要がある。この度の送金は昨年の米国滞在に伴う所得税を支払うためだった。よって送金の理由は「納税資金」だったのだが、さて、手渡された用紙に書き込んでいくうちに「送金理由」の欄で手が止まってしまった。「納」、「資」そして当然「金」の字は覚えていたのだが、「ゼイ」の字の部首がどうしても頭に浮かばなかったのだ。

このご時世、パソコンやスマホがあればいくらでも文章は書けるので一般生活において漢字で困ることはあまりないのだが、手書きとなると、さすがに小学生レベルの漢字が微妙な僕は綻びが出る。

銀行員が手元を凝視している中、急にスマホを取り出して仕事のメールを打つふりしながら「税」の字を調べるのはあまりに見え透いた芸だと思い、恥を忍んで「税」の書き方を教えてもらった。

考えてみたら、前回漢字で大恥を掻いたのも、同じく銀行でであった。

その時は、海外から間違えて送られてきた送金を送り返す手続きをするためだった。送金の理由として「誤送」と書く必要があったのだが、この時は「誤」の字が分からず教えてもらう羽目にあった。

れっきとした日本人である僕にとって、これほど恥ずかしいことはない。

もっとも、ここまで恥を掻く体験をしたからこそ、もう一生「税」と「誤」の字を忘れることはないと思う。

まさに、「人間、痛い目に合わないと学ばない」である。

僕はこの鉄則が、人生における小さなこと大きなことすべてに当てはまると思っている。

たとえば将棋というゲームでは、対局中、相手の手が明らかに罠だと分かる局面がたまにある。将棋教室に通い始めたばかりの頃は、まんまと罠にハマるのも悔しいので一体どういった罠なのかと無駄に考えていたのだが、先生に「罠はやられてみないと分からないのです」というアドバイスを受けてからは、罠などお構いなしにどしどし指すことにしている。

もっと真面目な例だと人材の評価だろうか。僕にとって、非の打ちどころのない履歴書ほど危険信号を発する候補はいない。

前職にいた時、イェール大学ハーバードロースクールをトップの成績で卒業し、大学と大学院の間に複数のインターンシップをやってのけた候補を面接したことがある。ピカピカの履歴書をバックに自信満々と語る彼の話を聞きながら僕が受けた印象は、「この人は打たれ弱いだろうな」ということである。法律事務所という厳しい環境でメンタルに弱いのは致命的な欠陥であると考え「不採用」としたら、上司の意見も一致し、この人の採用は見送られた。

もちろん、苦労のすべてが人生で活かされるわけではない。僕に関していえば、「税」と「誤」の漢字は一度の恥で確実に覚えたが、将棋では同じ罠に何度もはまっている。

この違いは基礎と才能の有無によるのだろう。でも、結局のところ、基礎と才能があってもそれらを最大限に活かせるのは苦い経験なのだと思う。

だから僕は、人生において多種多様なことを試みては失敗してみたい。

 

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