やめましょう、一塁へのスライドは
夏の甲子園が始まりました。毎年この季節になると、私は日本の高校野球についてのある持論を主張したくなってしまいます。 その持論とは、どの高校野球部でもやっている一塁へのスライドを、無意味、非効率的なプレイとしてやめさせることです。 野球のルールに詳しい人なら知っていることですが、野球には基本的にフォースアウトとタッグアウトという二種類のアウトがあります。
スライドは、走者が、ボールを持っている野手に身体をグロブで触れられるのを避ける、つまりタッグアウトを避ける為のプレイです。 しかし、そもそも一塁には必ずフォースアウトがあるため、このタッグアウトを避けるプレイには全く意味がありません。
打者がフォースアウトを避ける為には、野手からの送球を一塁手が捕球するより早く一塁に触れる必要があります。打者には送球がどれくらい早く一塁に届くかコントロールできませんから、バットに球が当たった瞬間、打者が唯一しなければいけないことは、「とにかく早く一塁にたどり着くこと」になります。
ここでの重要なポイントは、一塁では(二、三塁と異なり)、走者が塁に触れた後に走路から外れさえすれば、塁を走り抜けても良い事になっていることです。走り抜けても良いのですから、ゴロを打った打者は単純に全速力で一塁に向かい、塁に触れ、その後右に外れながら減速すればよいのです。
こう論理的に整理すると、一塁へのスライドは「とにかく早く一塁にたどり着く」という目的に反している、全く非合理的なプレイなのが分かります。走者はスライドし始めた瞬間必然と失速し始めるのだから、全力で走り抜けた方が一塁に早くたどり着くのは否定できない物理的事実です。
ちなみに、スライドすることで生じるほんの一瞬の重要さが、最近の石川県地方大会決勝戦が証明しています。この小松大谷対星稜戦、星稜が9回の裏に8点差をひっくり返して勝利を収めたことで話題を集めましたが、この9回の中で、一塁へスライドした星稜の打者が微妙なセーフの審判を受けた場面(15:40頃から)がありました。これがアウトだったら試合は終了、奇跡的な逆転はありません。スライドせずに走り抜けていたら、あそこまで際どいプレイにはならなかった筈です。
一塁へのスライドはやめさせるべし、と主張するとよく、「日本の高校野球の本質が分かっていない」と反論されます。一塁へスライドしたユニフォームを泥で汚すことが、三年間猛烈な練習を積み重ね、持っているすべてのものを試合で発揮している努力の証のひとつであると。一塁のスライドを避ける高校野球チームなど観客は誰も応援しない、とも言われたことがあります。
つまり、これは勝ち負けではなく、高校野球の精神の問題である、という論理です。
高校野球における精神のようなものを否定するつもりはありませんが、一塁へのスライドに関して言えば、この反論は説得力に欠けていると思います。 そもそも高校野球の精神とは、「甲子園出場・優勝」という夢をたった三年間の間で果たすという巨大な挑戦に立ち向かい、目標達成の為に全力を尽くし、それでも優勝チーム以外は挫折感を味わざるを得ないことからくる人間らしさにあるのでしょう。
一塁へのスライドは、「アウト確実のゴロだから、せめて形だけでも努力を見せよう」という、諦めの気持ちが見えます。もっと厳しく言えば、自己満足の為にスライドをしているようにも思えます。本当に全力を尽くしているのであれば、アウトだと思っても諦めずに全速で走るべきでしょう。野手がお手玉し、送球が若干遅れれば、一塁を走り抜いたことでアウトもセーフになるかもしれないのだから。
駄目だと思ってもあきらめない信念を示してほしい。そう思うからこそ、一塁へのスライドはやめて欲しいのです。
- 後日追記
ちなみに、米国のスポーツチャンネルESPNが、一塁へは走り抜いた方が球一個分早いことを科学的に立証しました。
そして、立命館大学がそれを反証しました。