新たな歩みだし、東京で
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東京への転勤が決まりました。八月の下旬から日本に住む事になります。
寝耳に水、と思われるかもしれません。実際、転勤を要請したのが二週間前で承諾されたのがその翌日。確かに急です。
アメリカに引っ越したのが8歳の時。最初は5年と言われていたのが、いつしかこんなに月日が経ってしまいました。その間、米国の高校を卒業し、米国の大学へ進学し、ロースクールまで卒業。地元の判事の元で法務書記として1年経験を積んだのち、ニューヨークの企業法律事務所に入社。アメリカの弁護士としてはある程度普通の道です。
そんな私の人生ですが、そろそろ大きく違うことをしたい、新しい挑戦が欲しい、とちょっと前から考えるようになりました。
大学時代から、私にとって日本に住むというのは手に届きそうで手に入らない夢でした。理由はいろいろあります。ひとつには余りにも生活の拠点がアメリカになって長くなり、そう簡単には日本へ行けなかったこと。両親が日本というところに余り興味を示さなかったこと。アメリカの大学を卒業し、アメリカで大人になっていたこと。
でも、やはり最大の理由は、日本に行きたいとは言いつつも、自分の人生を大きく変えることになる日本の生活に、覚悟も能力もなかったこと。
中学、高校時代の私は、将来は当然のごとくアメリカにあると思っていました。これはその頃一緒に通っていた塾の人達が多分最も良く知っています。日本は2年に一度、家族に会いに帰国するところ。それ以上、それ以下の愛着は無かったです。興味が無ければ当然勉強もせず、国語の模擬試験20点という定着してしまった悲惨たる結果にも、正直全く無関心でした。
それが変わり始めたのが大学時代。いつしか日本の新聞を毎日読むようになり、日本語を話すように努めるようになり、卒論は日本の選挙制度について書きました。でも所詮それはアメリカ人が日本に興味を持つのと大して違わず、例え日本へ行ったとしてもそれは日本人として行くのとは大きく異なることでした。実際、大学時代に日本関係のインターンシプを色々受けましたが、全く相手にされません。
私は中学時代から恐ろしいほど変わらないな、と自分でさえ思いますが、ひとつ大きく変わったと自覚しているのは、昔より大分日本人っぽくなったこと。というか、日本人らしく振る舞うようになったこと。大学を卒業して今年で7年。現在500人近く弁護士がいるだろうニューヨークの事務所に、日本語が喋れる日本人は多分私一人です。東京の事務所から転勤の話が来るようになって一年近くたちますが、日本で使える人間として認められているのは、過去のことを考えるととても嬉しいです。
とはいえ、ここまで久しぶりに日本に戻ることになりますと、戻ってきた浦島太郎というより初めての火星人というほうが例えが相応しそうです。日本は住みやすいから生活面では苦労しないでしょうが、言語では苦労しそうです。なにせ日本の大学どころか高校の入学も危ない国語力ですから。
たった二年前、職に慣れるようにと必死だった日々を今でも鮮明に覚えています。なんでせっかく慣れてきた職場を離れたいのか、と思う反面、日本で自分を試してみたい、そして試せるとワクワクしているのが現在の本当の心境です。
今まで何となく成り行きだった私の人生が、八月から大きく変わります。
日本の皆さん、よろしくお願い致します。