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僕は演劇にも映画にも、大衆性と芸術性を求める(後編)

このように、僕は映画に対して常にエンターテイメント性を求めている。さらに、僕には「どんなジャンルにもいい映画がある」といった持論がある。思考が一切不要なアクション映画でも、馬鹿げたコメディでも、甘い恋愛物語でも、僕はいつも面白さを期待して決して映画の誘いを断ったりはしない。

しかし、だからと言って、観た映画のすべてが好きになるわけではない。というか、僕は映画の評価には厳しい方だ。「どんなジャンルにもいい映画がある」という考えの裏には、「どんなジャンルにもいい映画と悪い映画がある」という意味が含まれている。

では何が映画の良し悪しを分けるのかというと、実はそれは、僕のルームメイトが拘った芸術性なのだ。

僕は演劇にも映画にも、大衆性と芸術性を求める(前編)

僕は最近、小劇場というマニアックなジャンルの演劇にはまっている。その世界にどっぷり浸かっている知人の影響である。

先日その知人と一緒に芸劇サファリ・Pによる「第8回公演『透き間』」と呼ばれる演劇を鑑賞しにいった。1時間半に渡って俳優が走り、泣き、踊るのを観た後の僕の感想は、「?」でしかない。何しろ、最初から最後まで、一体何が起こっているのかさっぱり理解できなかったのだ。

こういうことを体験する度に、僕は「芸術」のあるべき姿について考えてしまう。

話してない時の僕は、常にカッコつけている(前編)

喋りさえしなければねー」とあたかも話さなければ魅力的だと言わんばかりの指摘を受ける僕は、稀に話していない時はカッコつけている。

最近、友人と遊園地に遊びに行った時にこんな会話を交わした。

友達〜「暑いねー」

僕〜「そうだねー」

友達〜「革ジャンなんか着てて暑くない?」

僕〜「暑いねー」

友達〜「じゃあ、なんで着てるの?」

僕〜「カッコいいから」

友達〜「。。。」

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