タグ: 時間

2018年は「形になる成果」に拘った年でした

昨年はいくらあっても足らない「時間」についてばかり考えていたせいか、2018年はその限られた時間を最大限に活かして「形になる成果」をあげることが目標となりました。

私は昔から教師という職業に憧れており、ロースクール時代に主に米国憲法を勉強したことから、きっかけがあれば憲法を教えたい、と従来から考えていました。しかし、私の今までのキャリアは憲法とは全く無縁のもの。ロースクールで、それも日本にいて、米国憲法の教鞭を取るなどそう容易くいかないと思っていました。

「時間」について考えさせられた2017年

今年も残すところわずかばかりとなりましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。

2017年は色々な面で「時間」について考えさせられた年でした。

6月と9月には、大学時代のルームメイトが立て続けに結婚しました。ルームメイト4人が揃ったのはほぼ大学時代以来のことでしたが、その頃と変わりなく彼らと接しながらつくづく感じたのは、真の友情とは時間を超越するのだな、ということです。

もっとも、「時間」の経過には抵抗できないことを今年改めて実感したのも事実です。数年前、ませた親族の子に「何とか時間が過ぎるのを遅くできないかな」と尋ねたら、「時間が過ぎるのが早いのは毎日が楽しみだからだよ」とちょっと生意気な返事が戻ってきたことがありました。彼に「今年は特に目紛るしかった」と愚痴をこぼしても、きっと、「毎日楽しくしすぎだよ」と冷ややかに返されるだけでしょう。

納得できない「給料をもらっているんだから当たり前」という理屈

外資系企業にしか勤めたことがない僕は幸い経験した事がないのだが、典型的な日本の職場では理不尽なことを結構言われるようだ。

最も耐え難い例は、仕事に関して愚痴っぽいことを言うと、「給料をもらっているのだから、仕事をして当たり前でしょう」と返されること。

こんな発言をする上司がいる職場自体が信じられないが、この発言に対して「仕事だから確かに仕方がないよね」と納得してしまう多くの日本人の感覚も僕は到底理解できない。
Translate »