様々な経験を重ねて、僕は金について詳しくなった(後編)

前編から続く)

僕が最初に自分の金に関する理解に限界があることを悟ったのは、金融機関への投資を諦めたとき。健全な銀行の財務諸表と倒産寸前の銀行の財務諸表の見分けがつかず、僕は理解ができないものには決して手を出さないことを誓った。

僕が最初に自分が一般の人より金に詳しいことに気づいたのは、銀行の人と金の運用の話をしたとき。投資信託に関する基本的な質問に答えられない担当者を哀れに思いながら、僕はこのレベルで普通は通用してしまうことに驚いた。

僕が最初に金のライフプラニングが重要だと感じたのは、初の転職のとき。給与が半減する人生決断ができて、僕は金をちゃんと管理してきて良かったと思った。

僕が最初に「これは怪しい」と思ったのは、証券会社に社債を勧められたとき。「利回りがいいですけど、債権なので安心です」を繰り返す無能な営業を相手に、僕はゼロ金利の日本ではそんなうまい話は詐欺か嘘であると考えた。

僕が最初に誰もが金について基礎知識を持つべきだと思うようになったのは、朝日新聞の「ややこしい保険の研究」と題された連載を読んだとき。自分が4年間で4%の利益を出せた生命保険で大きく損した人達の話を読んで、僕はいけないのは商品ではなく無知さであると感じた。

これら経験を通じて僕が確信しているのは、源泉徴収され、年末調整をしてもらい、収入支出を把握しないまま、生命保険に入らず、資産運用の経験なしに、金の仕組みに疎いまま、行き当たりばったりの貯蓄をして資産が増やせるほど、金の世界は甘くない、ということだ。

人生、金がすべてではないが、すべてが金から始まる。自分の労力に対して金が支払われ、生きてくためには金が必要である限り、金のことについて知っておかなければ、遅かれ早かれ、どこかで必ず痛い目に合う。

だから僕は、金に関して無頓着であることは潔癖なのではなく単なる世間知らずなのだという自覚を持ち、誰しもが金についてちゃんと考えるべきだと考えている。

 

コメントを残す

Translate »