鈴木直道~平凡な公務員からスタートを切った偉大な政治家(前編)
ここに一枚の珍しい写真がある。
一番右に写っているのは、高橋はるみ、前北海道知事。そして彼女の隣にいるのは、鈴木直道、現北海道知事である。
時は2007年12月。当時、鈴木知事はまだ26歳の東京都職員。翌月から財政破綻した北海道夕張市に派遣されることが決まっており、この写真は事前に現地視察した際に撮ったものだ。まさか12年後に、自分が知事の後継者になるとは夢にも思っていなかっただろう。
鈴木直道知事は、僕が最も尊敬する政治家の一人である。
彼は埼玉県の三郷市出身だ。高校時代に両親が離婚し、その後、お金がないと思われるのが嫌でバイトに明け暮れたそうだ。スーパーの仕出し、カメラ店、引っ越し業者、お酒の卸売りセンターのほか、夏休みの朝4時から夕方の7時まで工事現場で木枠にコンクリートを流すことまでしたそうだ。
金銭的な理由から大学への進学を諦める必要があり、18歳で東京都職員となる。しかし大学を諦めきれず、翌年から夜間大学に通い始める。大学では体育の単位を取るためにボクシング部に入部し主将まで務め、どうせやるなら国体か日本選との目標を掲げ、高校から推薦で入っていた相手に国体の代表選考で決勝まで進む。鈴木知事の大学4年間は、平日の昼間は仕事、夕方は大学で講義、週末と夜はボクシングと、市長であるより体力的に厳しかったそうだ。
人生の大きな分岐点は都職員になって9年目に訪れる。その年、夕張市が350億円の借金を抱えて財政破綻し、副都知事になったばかりの猪瀬直樹(写真の最左)が、夕張市支援の一環として、若手都職員を夕張市の市役所に派遣することを発案する。そしてこの企画に、それまで北海道とは無縁だった鈴木知事に声がかかった。
派遣中の彼の働きぶりは期待をはるかに超えたものだったと思われる。
財政破綻後、夕張市の市役所職員は約260人から半分以下になり、割安と思われる行政サービスの料金はすべて上げられた。これが「全国で最高の負担、最低の行政サービス」と言われるようになった所以だが、そんな環境の市役所で鈴木知事は土日も深夜まで働く。
しかも、彼の貢献は市役所の仕事に留まらなかった。積極的に地域の人と関わることを希望し、「寝ても覚めても、夕張の人たちの生活がどうすれば少しでもよくなるのか」ばかりを考えるようになる。本人曰く、26歳の男子というだけで地域の人に頼りにされることが大きなモチベーションになったそうだ。
鈴木知事と共に派遣されていた都職員(写真のから二人目)は、彼のその時の活動について、「公務員の域を超えていた。組織うんぬんより、思いが強く出るタイプだった」と語っている。
その抽象なるものが、夕張市の財政再生計画が策定される年に合わせて実施された市民アンケートである。
アンケートをする予算も人もない中、鈴木知事は母校の法政大学などから大学生ボランティアを募り、全世帯数の26%である1661世帯から、生活での困りごと、再生計画に盛り込んでほしいことについて調査し、結果を150ページの「夕張再生市民アンケート 調査報告書」にまとめた。その後、報告書を総務福大臣に直々に提出し、その一部が財政再生計画に盛り込まれるという実績を残している。
ちなみに、鈴木知事の派遣はもともと1年の予定だったが、本人の希望で1年延長されている。延長を希望した理由は、ちょうど仕事に慣れてきた頃に当時の再建計画に足りないものがあると感じたからだそうで、市民アンケートが実施されたのは、まさに派遣の2年目だ。
(後編に続く)