僕は将棋に向いてない

将棋教室に月2回通うようになって4年超。「趣味は将棋だ、将棋」と周囲にウザく宣伝しているわりには、上達していない。

才能がないと言えばそれまでだが、何も誇れる才能がない僕は(家族・友人・同僚によると、口が達者であることは自慢できることではないらしい)、今までの人生において、コツコツと努力を積み重ねることで、テニスや数学などにおいて一定のレベルまで上達することができたのを長所と考えていた。

将棋も同じように忍耐力さえあれば一定の成果につながると思っていたのだが…

どうもいつまでたっても六級から昇級しない。

何がいけないのかをよくよく考え理由を追求してみたら、問題は自分の性格にあった。

問題其の1 僕は考えることがとことん苦手

将棋とは言うまでもなく考えるゲームである。プロ棋士など、思考時間に入ると平気で1時間は考え続ける。

一方で僕は、あまり考えすぎると頭が森に迷い込んだようになり、混乱し、思考停止状態に陥る。

だから僕は、「Don’t think, just do」、つまり「考えずにエイっとやってしまえ」、を人生の鉄則にしている。

日常生活や仕事だと大抵はやり直しが利くので、この鉄則どおりに何も考えずに行動を起こしても通常は大きな支障はない。

ところが将棋ではそうはいかない。

我が人生の鉄則どおりに将棋を指すということは、「どうせ考えても分からないんだから」と開き直って勘で指すこと。これは痛い目にあうことにつながる。

何せセンスも才能もない僕の「勘」は全くあてにならず、仕事だったらいくらでも利くやり直しが、将棋の世界では「待った」と言われるルール・礼儀違反になる。

このように、考える必要がある将棋において考えることを放棄することは、致命的である。

問題其の2 僕は他人に興味がない

僕は自己中心的である。よって、基本的に他人に関心がない。

当然のことながら、この性格は相手方がいる将棋にそぐわない。

ある有名な女流プロ棋士が、対局相手に対する自分の姿勢について、「人間には自分に都合のいいことばかりを考える傾向がありますが、私は常に、相手に何をされたら最も困るだろうか、ということを念頭に置きつつ次の一手を指します」と語っているのを聞いたことがある。

この姿勢、僕には到底真似できない。

対局中、僕は常に相手は絶対自分の思い通りに動いてくれる、と確信している。

ナルシストだと、このように自分に都合のいいことばかりを考えがちだが、相手を困らせるのが目標である将棋では、こういう根拠のない自信は破滅に繋がる。

問題其の3 僕は集中できない

僕はすごい集中力を発揮することができる一方で、ひとつのことにしか集中できないという極端な欠点を抱えている。

そして、この「ひとつ」の範囲がハンパなく狭い。

将棋自体に集中力を注ぐことができれば将棋も強くなろうが、僕にとって「将棋」は集中力の対象としてはあまりにも広すぎる。では攻めか守りの一つの戦略に絞れば集中できるかというと、戦略も奥が深いのでこれもまた集中できる対象ではない。

するとどう集中力が発揮されるかと言うと、対局において、直近の将棋教室で学んだ一手や、本で読んだ定跡のひとつを再現することにもっぱら専念する。

これではもはや、「集中」というより「バカの一つ覚え」である。

このように、集中力が欠けており、相手に興味を示さず、何も考えたくない僕は、メチャ好きな将棋に、実は全く向いてない。

 
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