高校の人気投票で健闘した僕は、卒業式でスピーチをする羽目になった(後編)
先生の1票の方が圧倒的に同級生の1票より重い。肝心の先生票ではどうみても出木杉くんの方が優勢で、僕はホームルーム票を総取りするくらいでないと勝ち目がなかった。その点、人望がある首席くんが立候補しなかったのは痛かった。彼がいればエリート票が割れ、庶民の票を固めた僕が出木杉くんをホームルームで上回る可能性が高まったのに。
僕は高校の卒業式でスピーチをしている。
すご〜い、と思うかもしれないが、通常であれば功績であるはずのことが呆れるほど浅はかであるのが僕なのだ。
日本と米国で根本的に違うのは、投票率ではなく、日常における政治への身近さだ。
米国では、中学時代に国会議員に手紙を書いて返事をもらい、高校時代に国会議員の地元事務所でインターンをし、大学時代に徹夜で政治を議論し、大学院時代に選挙ボランティアを経験した、という人がざらといる。
果たして、これを一つでも経験したことがある日本人がどれほどいるか。
昨日、都知事選が開票された。
投票率は55%。いつものことながら、「投票率の低さに驚いた」などとコメントしている人がいる。
しかし、僕に言わせてみれば、投票率が低いなんて当たり前だ。
投票という行為がどういうものなのか、冷静に考えてもらいたい。