二つ目の人生を生きれるなら、僕は米国裁判官になって小さな国の王様になりたい(後編)

(前編から続く)

裁判官Bは弁護士に対しても厳しかった。

自分が話しているときに口をはさまれるのを何より嫌っていた彼は、ある時、彼が話し始めると直ぐに反論し始めた弁護士に対して、「私が話してるときは、あなたは話せないの。それが司法制度の不公平なところなんだよ(You don’t talk when I talk. That’s the inequity in the system)」とイラつきを示した。裁判官Bはイラつくと相当怖い。

さらに米国の裁判官は、法廷内での進行だけでなく、法律の解釈についても相当な権力を持つ。

ニュージャージー州には敷金について極めて借主に有利な法律があり、退去後、大家が一定期間内に書留で敷金を返すか精算書を送らないと、大家は借主に敷金の2倍を支払わなければならないと定められている。

なんでも訴訟になる米国では、当然のこととして、敷金を巡っての訴訟が起こる。そして、こういった訴訟で裁判官が冒頭ですべきなのは、大家に対して「あなたは元借主に何かを書留で送ったか」の1点を確認することである。答えが「No」なのであれば、法律上はその時点で大家の敗訴が確定するからだ。

ところが、裁判官Aはそうしなかった。「正義をやろう(Let’s do justice)」が口癖であった彼は、大家の言い分を聞き、借主の反論を聞き、お互いの主張を踏まえたうえでの彼から見た公平の金額の払い戻しを大家に命じていた。

明らかに法律に反するこの判決について、僕は裁判官Aに「控訴されたらどうなるんですか」と聞いたことがある。すると彼は、「私の判決は即座に覆されるよ」と笑いながら答えた。彼は上級裁判所にどう判断されるかより、自分が正しいと思うことを貫いていたのである。

このように、自分の思う正義を実行できて、独裁者になれて、一生偉い肩書きがつく。

僕がそんな人生を生きたいと思うのは、ある意味当たり前なのであった。

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