「腕時計通貨」という、僕のややっこしい日常通貨(後編)
(前編から続く)
ということで、腕時計通貨で重要なのは、本数ではなく「機能」と「ブランド」を通貨単位にすることなのだが、ここで紛らわしいのが、「機能」の価値は実用性に反比例しているということだ。
たとえば、Seikoの時計は時間の正確性が売りだが、正確性と呼ばれる”機能”には「銭」レベルの価値しかない。「円」の価値がある機能といえば、ミニッツ・リピーターやパーペチュアル・カレンダーだろう。
時計に詳しくない人のためにミニッツ・リピーターを解説すると、これはiPhoneでいう目覚まし時計である。時計師はこの機能を開発する際に綺麗な音を出すことしか関心がないため、寝てる時にこれが鳴っても音が小さすぎて聞こえないという、アラームとしては致命的な欠陥がある。
パーペチュアル・カレンダーとは、閏年も考慮したカレンダー機能のことだ。こちらは設定するのが面倒なので、日付を正確に知りたいのなら、これもiPhoneを頼った方が実用的である。
このように「機能」は腕時計通貨の単位として参考にならないので、それなら「ブランド」を通貨の単位にすればいいかというと、そうもいかない。なにしろ、ブランドには客観性がないのだ。
もちろん、スウォッチは時計として認められるべきか微妙なので、ブランドとしての価値が「銭」もしくはそれ未満の「厘」程度であることは疑いようがない。
ではどのブランドが「円」に相当するかとなると、ここから急に主観性が入る。
たとえば、パテック・フィリップは「腕時計の御三家ブランド」の一つとされており、リシャール・ミルは一般的にパッテック以上の腕時計と見なされている。しかし、僕は個人的にリシャール・ミルのデザインが苦手で、スウォッチ程度の価値しか見出してない。
他方で、エドックスは一般的にスウォッチ以上パテック未満(それもスウォッチ寄り)のブランドとされているが、僕はエドックスがあまりに好きで、飛行機がハイジャックされて、両腕に着けてる腕時計のうちどちらかをテロリストに差し出す必要がある夢を見た時にパテックとエドックスを着けていたら、僕は間違いなくエドックスを救ってパテックを犠牲にする。
僕を常に2000円札を持ち歩いているので、そんな僕を見ては変な金銭生活を暮らしていると思う人がいるかもしれないが、実際の僕は、もっと訳のわからない金銭生活をしている。