実は僕は(ほぼいつも)落ち着いている
僕はだいぶ感情的である。
少なくとも周囲にはそう思われている。
それがどでかい声のせいなのか、大げさな身振り手振りのせいなのか分からないが、最近になってやっと、僕の実際の情動状態と他人が受ける印象にギャップがあることを自覚し始めた。
このギャップの背景には性格があるようだ。僕は性格的に何に関しても意見を持ち、その意見を面白おかしく皮肉的に語るのが好きなだけなのだが、他人からは、僕は極端な意見を持っている上に自分とは異なる意見を一笑に付しているように見えるらしい。そのせいか、述べる意見が強ければ強いほど、話している時に興奮していると思われやすい。
ちなみにこれは、外国生活が長かったことにより振る舞いが外国人っぽくなってしまったからではない。ニューヨークで働いていた時でさえ、米国人の同僚に「OK, calm down(分かったから落ち着いて)」と宥められるように話されたことがしばしばあった。
平常心で話しているつもりなのに興奮していると思われるのは心外なので、最近は周囲が引くことに若干敏感になり、「僕は落ち着いてます」と敢えて口にするようにしている。
それでも誤解はなかなか解けない。
特に「怒っている」と思われている時は周囲に誤解されていると感じる。僕と議論した人にとっては意外かもしれないが、僕は本気で怒ることはあまりない。「あいつは馬鹿だ」とか、「そんな考え、到底あり得ない」とかを早口の大声で断言しているような状況でも、僕はただ率直な意見をフィルターにかけずに述べているだけである。
もちろん本気で怒るときもあるが、そういう状況の僕を見たことがある人はこの世にそういない。というのも、本気で怒った僕は「怒り狂っている」という表現がもっとも相応しく、そのような恥ずかしい姿はなるべく世間に晒さないようにしているのだ。
今でこそ平常心穏やかである僕は、子供の頃は相当な癇癪持ちであった。図体の成長に伴い精神面でも一定は成長したので、昔のように気に入らないことがある度に癇癪を起こすということはなくなったものの、それは基本的に沸点が上がっただけである。細かいことについていちいち癇癪を起こさなくなった反面、イライラの積み重なりが一定の水準を超えると僕は噴火する。
そして火山並みに爆発する瞬間、何となく「ヒステリック」という感情がどういうものなのかを理解できるようになる。怒り狂った僕は、物は投げるは暴言は吐くはと、手がつけられなくなる。頭の中では、「物は投げると壊れる」ということや、「てめえ、ざけんじゃねえよ」というヤクザのようなセリフは後で後悔するということが分かっていても、感情に支配されると暴れまくらずにはいられなくなってしまうのだ。
このように理性が飛んでしまう状態に昨今の僕は1年半毎ぐらいに陥る。子供の頃、僕の怒りの火花が周囲に散って大きな迷惑をかけていた反省から、大人になった今は、噴火しそうな気持ちになったら誰もいないところに自らを隔離するようにしている。
よって読者の皆様には安心していただきたい。そう見えなくても僕はほぼいつも落ち着いている。そして稀にキレている時は、皆様の前にはいない(はずである)。