私にとっての「バイリンガル」の意義
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この投稿は、私の日本語の先生が所属している公益社団法人国際日本語普及協会(AJALT)が毎年出版する機関誌に載ったエッセイです。実際に機関誌に載ったエッセイは字数制限の関係で簡略されたため、ここで完全版を紹介します。なお、機関誌にはこのエッセイと共に先生からの一言も載りましたので、それも終わりに紹介しています。
私は学生時代、「穣さんはバイリンガルでいいですね」と言われるのをあまり好まなかった。私からしたら二カ国語を中途半端にできるより一カ国語を極めている人のほうがずっと羨ましかったから。
中学・高校時代の私は、英語に関しては米国のSATと呼ばれる大学進学適性試験の点数に悩まされており、日本語に関しては、塾で受けていた模擬試験の国語の点数が一桁台であったため、さじを投げていた。言語は同時にふたつ使える物ではないと思っていたから、自分の将来において英語と日本語のどちらを主にするか選択する必要があると考えていた。日本語を選ぶには余りにも国語力が欠けていたいたので、日本語の勉強には余り力を入れなかった。
2年前、21年ぶりに日本に戻って以来、学生の頃の「一つでもいいから言語を極めたい」という要望が無い物ねだりだったと分かるようになった。英語が不便なく使える私にとって重要なのは必ずしも日本育ちの日本人のように日本語が出来る事ではない。現在の自分の日本語でも、十分に私生活でも仕事でも通用するので、肝心なのは今の日本語能力を基盤に、日本語を使う環境に自分を置き、使おうという気になることで、日本語をさらに上達させる気になることだと認識するようになった。
これは言うのは簡単だが、実行するのはすごく難しい。私は日本生まれである為、常に日本語は身近にあったが、米国にいた中学・高校時代、フランス語を「外国語」としてゼロから学んだことがある。授業に座っていて先生の言っている事が全く分からない苦労、喋っても発音がすごく悪いと自ら分かってしまう恥ずかしさ、宿題の文章問題を解こうにも知らない単語が多すぎて諦めたくなる気持ち。そんな、生まれた母国の言語が十分出来ないつらさとは比較にもならないつらさを私も6年間経験した。その時は外国語を新たに学ぶ事が余りにも大きな課題に見え、どんな勉強をしても焼け石に水と思えたため、そもそもあまり努力をしなかった。日本に来て、中途半端な日本語が大きく役に立つようになったことで、今ではフランス語を勉強したときのいい加減さが悔やまれる。
大学院生時代、私は日本から来たばかりの小・中学生に英語を教えるバイトをしていたことがある。教える時に私が常に念頭に置いていたのは、「適当」の大切さだった。これは十何年間も米国に暮らしているのにも関わらず英語の語彙が少ないつらさや、フランス語をゼロから学んだ自らの経験を踏まえた、外国語を学ぶ際の実践的なアドバイスだった。文章を読む時、知らない単語は余りにも多いから分からない単語の全てを辞書で引く必要はない。とにかく曖昧でもいいから文章を理解する為に必要なだけの単語を調べて次の文章に進む事を促した。100点満点中、0点でさえなければ25点でも10点でもいい。そうでも考えないと、子供達は余りにも外国語を学ぶ際の壁の高さに挫折してしまうと、フランス語をほぼ挫折した私は考えていた。
日本に来てから、実はこの「適当」というのがただ実践的だけでなく、十分でもある事を知った。これは「適当」が決して言語を極める為に十分であるという意味ではなく、言語を自分の物とし、自分の武器として使えるようになるためには、「完璧」である必要はないという意味である。「完璧」で無くてもよいから、漢字が読めなくても日本語の本を読めばいい。英語ですんなり言える事が日本語で頭に思い浮かばなくても、挫けずに日本語を喋ればいい。日本語を書くのが辛くても、時間をかけて書けばいい。そのように割り切ると、日本語を使う抵抗が減り、日本語がより日常的になり、必然的に、しかし無意識のうちに、日本語が上達する。そして上達すると使い易くなり、ますます上達する。数ヶ月振り返っただけで上達が実感できる最近、数年経つとどこまで上達するのか考えるだけで楽しくなる。
「バイリンガル」が二カ国語を全く不自由なく使える人という意味であるならば、それは学生時代と同様、現在の私を表現するには相応しい言葉ではないと思う。でも今違うのは、昔は嫌いだった「バイリンガル」という言葉が、今では一生追い続ける目標となっている事だ。
–先生からの一言: 「授業は経済金融関連が中心だが、日米両国の政治を語らせると非常に詳しく、雄弁。多忙だが目一杯日本での生活を楽しんでいる。」