もしかしたら、僕は酒に強いのかもしれない(後編)
(前編から続く)
ところが日本に戻ってきて以来、どうも周囲が見る目と自分の自覚の間にズレが生じるようになった。
その大きな理由は、どうやら僕が日本酒を好むかららしい。そして、好むだけでなく、結構飲むかららしい。
このことについて、僕は長い間全く自覚がなかった。あるときなんぞ、飲み仲間に「この前は2合も呑んじゃったから今日は気をつけなきゃ」と反省の弁を述べたら、「いや、4合だったから」と冷ややかに返されたことがある。自分のキャパは2合と自覚していたので、この指摘が事実だとすると、3合目あたりから記憶が飛んでいたことになる。
確かに、考えてみると日本での飲み方は僕の性に合っているのだ。
米国で酒を飲む場所といえばバーが定番だが、そのバーとは、気持ち悪いビールの匂いが蔓延し、うるさい音楽のせいで会話が成立せず、腹が空いてもましな食べ物がおいてないという、僕にとっては何一つ好む要素がない環境である。
反対に日本では、「飲み会」といえば「食事に飲み放題がつく」というパターンが一般だ。常にたくさん食べて会話を独占したい僕としては、酔うと食欲が進んで舌がフル回転するので、ついつい呑みたくなってしまう。
とはいえ、これも所詮は外食するときの話である。基本的に自宅では酒を飲まないので、自分は豪酒ではないという自覚は変わらなかった。
それさえも変わり始めたのは、やはりコロナ騒ぎのせいである。
自粛生活になって以来、僕はズーム飲み会というものに参加するようになり、初めて家でも酒を飲むようになった。人気者の僕は週に2~3回の頻度でバーチュアル飲み会に招待されるので、ストックしていたホームパーティー持参用の日本酒は早々と自己消費され、今では毎週のように近所の酒屋に足を運ぶようになっている。
こうして異常なスピードで空の瓶が増えていく生活を過ごすようになり、それを楽しんでる自分を省みて、最近ちょっと思うようになった。
もしかしたら、僕は酒に強いのかもしれない。